宮城県は旧陸奥国の中央部やや南寄りに位置し、明治五年(一八七二)仙台県を改称して発足、同九年県域が確定する。県名は宮城郡からとられたが、宮城郡は古代より陸奥国または奥羽両国の政治的・文化的中枢であった。陸奥国の国府であった多賀城は鎮守府を併置し、古代東北の要となり「みちのくの都」であった。多賀城の外港とされる塩竈津はその景勝からつとに都人に知られ、松島とともに数多くの歌に詠まれた。古代以来の塩竈神社は中世初頭には奥州一宮と称され、陸奥国分二寺も広瀬川左岸の宮城郡に建立された。近世には仙台藩六二万石の治府が仙台に置かれ、現在の福島県北の一部と岩手県南部を含む広大な領域を経営した。しかし現県域全体が旧仙台藩領であったことから、仙台県の名こそふさわしいようにも思われる。この改称の理由については、明治政府が近世の雄藩の名を新県名に採用しないという意図があったことによると伝える。まして仙台藩は戊辰戦争で反政府側に立った奥羽越列藩同盟の盟主として重きをなしたこともあり、この伝えを一概には否定しがたい。また新県名の宮城についても問題があったようで、明治二一年現皇居を
日本列島の北東部、東北地方の中心部よりやや南に位置し、東は太平洋に臨む。面積七二九一・六五平方キロで、東北地方では最小。西は奥羽山脈を境に山形県、北西は
奥羽を分ける奥羽山脈のうち、県域には栗駒山およびそれより南の
奥羽山脈の山嶺からは、東へ流れて太平洋に注ぐ数多くの河川が発し、宮城県に水を供給する。北からみれば、栗駒山を水源とする
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
東北地方の中部,太平洋側に位置する県。旧陸奥国の中央部,明治の分国後は陸前国の大部分と磐城(いわき)国の一部を県域とする。1868年(明治元)戊辰戦争の敗北により仙台藩は領地を削減され,没収地は土浦・宇都宮・高崎3藩の取締地および盛岡藩が移されて白石藩となった。69年各取締地は涌谷(わくや)・栗原・桃生(ものう)の3県,白石藩が旧領に復されたあとは白石県(同年角田県と改称)がおかれた。さらに栗原県が分割され,一部は涌谷県と合併して登米(とめ)県となり,残りは胆沢(いさわ)県の管轄となった。桃生県は石巻(いしのまき)県と改称したのち70年登米県に合併した。71年の廃藩置県で仙台藩は仙台県となり,11月角田・登米両県を合併,同時に登米県のうち本吉・登米・栗原・玉造(たまつくり)の4郡を一関(いちのせき)県(のち水沢県,磐井(いわい)県)へ移管した。72年仙台県は宮城県と改称,76年磐井県の廃止にともない陸前国5郡を編入したが,気仙(けせん)郡は岩手県に移管した。同年刈田(かった)・伊具(いぐ)・亘理(わたり)・宇多(うだ)の4郡を磐前(いわさき)県に移管したが,宇多郡を除く3郡が再編入されて現県域が確定した。県庁所在地は仙台市。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
働き手が自分の働きたい時間に合わせて短時間・単発の仕事に就くこと。「スポットワーク」とも呼ばれる。単発の仕事を請け負う働き方「ギグワーク」のうち、雇用契約を結んで働く形態を指す場合が多い。働き手と企...
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